水族館
恋愛における速度のようなものが測れるのだとしたら、今回の関係は結構な速さだと思う。お互いが近付く速さというか、関係が発展する速さというか。
速度が横軸だとしたら、縦軸は熱量とか? 性別や年齢、付き合っている結婚しているしていないというようなことは一切関係なくそれぞれの恋愛に対する絶対的な数値があればこじれる話も減るだろう。
「元彼との関係はXXXkcalでXXkm/hだったんだけど」
「え、大変だったんだね」
みたいな。
出会い系サイトでも、
「XXkm/h以下を維持できる方とお会いしたいです」
なんて。
そういった何も生み出さない考えで頭を埋めようとしているのはとにかく眠くて怠いのに少しばかり肌寒い新幹線の車内で斜め前に座った男がずっとパソコンに向かってSkypeで会議しているのが目障りで苛立ちがピークに達しつつあったからだ。
「何かさぁ、アクティビティやりたいよね」
ゴミみたいな会話を垂れ流し続けている男に明らかに苛立ちながらも何もしない周りの男達にも更に私のストレスは高まりつつあった。
名古屋を発車して10分程経っても終わらないのでトイレに立つタイミングで乗車員に声をかけ、
「4号車の12列Cの座席の人がずっとテレビ会議していてうるさいので注意してもらえますか?」
と言って席に戻った。
いつもそう。何だってそう。神経過敏な私が真っ先に異変や違和感に耐えられなくなる。愚痴をこぼし続けたり苛立ち続ける体力もないのですぐ行動に移してしまう。真っ先に行動して損することの方が多い。
席に戻っても男は通話し続けていた。
苛立ちを超えて落胆し、ただ自分は行動に移したというほんの少しの満足感と優越感に任せて眠りに落ちた。
目を覚ますともう新横浜で、男は未だに下らない会話を続けていた。
私の列の反対側に座った男がその隣の恐らく未成年の女に「大人になっても子供のままの人間もいるんだよ」なんて言っているのが聞こえてお前も同罪だろと呆れ返っていたら品川に着いていた。
会社の酷い飲み会を思い出した。自分のもののように私の腰を抱き、髪に触れてきた男がいたが本人よりも周りの傍観者に腹が立ち、絶望した。お前も満更では無いのだろうとニヤニヤしながら言ってきた男達は同罪かそれ以下だ。そしてはっきりとした拒絶を示さなかった自分を責めるだけ責めて私は潰れた。
もちろんそれだけじゃなかっだが、ただでさえギリギリの精神状態で働いていたのにそんなようなことが積み重なり会社への信頼や忠誠心がなくなってしまい、会社に行けなくなってからもう三週間が経とうとしていた。
名古屋から品川まで1時間半、苛立っているうちに眠ってしまい大して振り返ることも出来なかったが今私の身を置いている恋愛は速くて熱い。それだけは確かだった。
「私たちくらいの歳で結婚して子供もいてっていう真っ当でキラキラした人生を送ってる女達ってさぁ、学生時代二軍だったよね」
選んでもらった松濤の落ち着いたオーストラリア料理の店でぱぴこが言った言葉の過激さに吹き出した後、深く同意した。
ぱぴこは去年の秋くらいに会って、同い年ということもありそれから急激に仲良くなった。
「ああ、もう、その通りだわ」
私自身のことを誰もが振り返る美人だとは全く思わないが学生時代を思い出せばそれなりに顔も頭も良くて自己主張が強く、とにかく目立つ学生だった。ダサいことが本当に嫌いでかつとても恐れていて、根拠のない全能感に包まれていた。彼女もそうだったのだろうと容易に想像がつく。
「私結婚はしたけど子供は全然欲しくないし」
「そうなの?」
「うん、多分生まれ方も生き方も間違えた」
ぱぴこの発言よりも結婚したら必然的に子供の話になると思っていた自分がいたことに気付いて少し驚いた。
「来世は頑張ろう」
来世という大袈裟な言葉を選んで面白おかしく済ませようとしたが、話は終わらなかった。
「セフレとか不倫なんていう言葉を知らないまま生涯で2、3人目の彼氏と結婚して子供が出来て、かつそういうのをつまらないと思わない人生にしたい。来世は」
と彼女が言えば私も私で、
「ハリーウィンストンとか、ヴァンクリに憧れるようになろう。コーチのバッグとか持とうよ」
などと言っているうちに楽しくなってきた。
あの時私たちがちょっとダサいと思っていた彼女たちはダサいかダサくないかなどは全く考えず定義された幸せを一つずつ手に入れていった。私たちが手に入れたかったのは少しばかりの刺激、自己顕示、自己実現、他人からの羨望、優越感、それは今も大きくは変わらない。そしてききっと、何回生き直しても。
私よりは少し短いが長い髪をかきあげたり結んだりしながら話すその様を割と私と彼女は見た目も似ているんだろうな、と思いながら見ていた。
「でもさ、私たちまだ30だし」
彼女は言う。もう31だけど、という指摘は野暮だと思ってやめた。
「私は35歳までは頑張ってみようと思うよ。それ過ぎたら来世にかける」
「そうだね。でも今は弱ってるだろうから、倫理的にどうとか考えず、すがれるものにすがったらいいよ」
私の周りの女達は熱くて賢くて狂気に満ちていて、そして弱っている私に優しい。それだけが私の人生におけるせめてもの救いだ。
あまり今日は飲めなそうだったので彼女を引き止めることなく渋谷で解散した。
iPhoneを見るともう一人、狂った女からのLINEが入っていた。
《あの水族館の写真、条件反射で涙出る》
《ゆかりちゃんが本当にかわいい顔してて…》
《※もちろんいつもかわいいよ!》
三連休の中日である今日もユキちゃんは働いているんだろうな、と何となく感じ取った。
仕事の息抜きで私に連絡しようとしたら写真が出てきて、感極まったのだろう。
私も仕事は好きだが何がどう転んでも彼女のような働き方は出来ない。彼女の仕事に対する熱は正に狂気に満ちている。彼女自身かもしくは他人を焼き殺してしまいそうな熱量だと、いつも見ている。
昨日彼と名古屋の水族館に行った。私がかねてから行きたいと言っていた場所で二人で撮った写真を彼女にだけは送っていた。昨日というかもう遥か昔のことのようだ。
彼女も結婚している男と関係を持っている。
「俺は結婚だけはあげられない」
会ったことは無いが、彼女から聞いたこのセリフはその男をよく表している気がした。
《ありがとう。そういえば私、ラスベガスの写真見てたらまた彼と写真撮りたくなったってツイートしてたよね。ってことを思い出して昨日泣いた》
《彼から撮ろうって言ってくれたの。ありがたい》
《彼が撮りたかったんだろうね》
《切ないね》
既婚者と関係を持つ際に自分に課しているルールがいくつかあって、
泣かない、好きと言わない、写真を撮らない、家に入れない。
《もうダメ、ほとんどのルールを逸脱してる》
この関係における速度と熱量を感じるのはこういう部分だった。
私はいつの間にか31歳になっていて、これまでも何人かの結婚している男性と関係を持った。それぞれ速度や熱量はまちまちで、父親的な愛情を求めた人もいれば仕事関係の非常に打算的な関係もあった。
彼にも話してしまったが前職の男との関係は低い熱量と速度を保っていたからダラダラ続いていたのだろう。
「ゆかりはすぐ、心変わりしそうだね」
そう言われた時、面食らった。この名古屋のピザ屋で、突っ伏して泣いてやろうかと思うほど。でもまぁそう思うか。私は心が変わった時の話をばかりしていた。既婚者と関係を持った際の私の癖だった。私は沢山恋愛をしてきて、モテるし、今もいろんな男が周りにいるしこんな関係いつでも終わらせられると相手にも見せたいし自分でも思いたいが故の。
一緒に過ごしたいがためだけに出張した彼を追って名古屋にまで来て、すぐに心変わりすると言われる自分を呪い明日にでも心変わりしたいと願い涙ぐんで微笑むだけに留めた。
《ユキちゃん、私、心変わりしたい》
《泣いた》
《マジで泣いた。心変わりしたいね。今回のゆかりちゃん、いつにもまして切ない》
私に感情移入して泣いてくれる女友達がいる。それだけで生き長らえていられるような気さえする。
今日松濤で飲んでいたぱぴこも、こうやって泣いてくれているユキちゃんも、Twitterで出会った。本名はもちろん知っているが未だにアカウント名の方が馴染みがある。
facebook、Instagram、Linkedin、ブログ、SNSというものは世の中に多数存在しているがTwitterの存在意義だけが全くわからなかった。
何となくのきっかけで1年やってみて私の140文字の思いを見てくれる人は4,000人近くまで増え、一生付き合っていきたいと思える友達までできた。
今なら理解する。日常の苛立ち、理不尽さへの不満や怒り、誰にも打ち明けられない哀しさ、そういったものを吐き出し共感されそして拡散されていくのは140文字という長さが最適なのだと。
いつも通り彼と手を繋いで名古屋の水族館に着いた時はあまりの施設の古さに身構えた。
岩井志麻子の小説を思い出した。ベトナムで出会った現地の男を好きになり情事に明け暮れていた中で、ガイドブックには決して出てこない現地の遊園地に連れて行ってもらったことを大切な思い出としていた。その後彼女の小説の影響もありベトナムに旅する女性が増えたがその遊園地の場所だけは教えたくないと書いていた。
そういう位置付けになるのかここも、と思いながら進むと古いのは入り口周りだけで拍子抜けするくらいちゃんとした水族館が現れた。
「これは、思いっきり、デートだね」
確かに。デートらしいデートは当然ながらほぼできないので彼に言われて改めて実感した。
私は新潟の港の近い場所で生まれたからか水がある景色が好きだったし水の中の生き物を見るのが好きだった。幼い頃父親と一緒に日本海に潜って魚を見たりサザエやらウニを採ったりするくらい海に近いところで生きていた。
デートするならどこに行きたい?と聞かれたらディズニーランドよりもどこよりも真っ先に水族館と答えるだろう。
そんなこと聞かれることもデートらしいデートとをすることも久しくなかった。最近の私の男女関係は夜に始まり朝には終わっていた。昼間一緒に出かけたいと思うような男もいなかった。ただ酒を飲んで夜を過ごすことは恋愛とは呼ばないと今更ながら気付いたし私は今、恋愛している。
館内に入るとイルカやらシャチやらアザラシやらがいきなり登場し、
「この後どうやってテンション保てばいいの?」
「まだ哺乳類しか見てない」
「魚いないんじゃない?」
と笑って騒いでいるうちに時間が経ち、後半の小魚達が現れる頃には彼も私も疲れ果てていた。
30代の男女が一晩中、そして朝もセックスしていれば消耗するに決まっている。
ラスベガスで初めて抱かれてから私は彼と何回でもしたくなりそして彼もそれに応えてくれるので際限なく求めてしまい最終的には私が疲れ果てて眠るまでそれが続く。
石田衣良あたりがそんなセックスを「噛んでも噛んでも味がなくならない、いつまでも甘いガム」というような表現で例えていた気がするが、その通りいつまでも噛んでいたいし口の中にいて欲しい。
名古屋の夜も3度も抱かれた後、彼がシャワーを浴びに行った瞬間私は意識を失った。
目覚めると過剰に摂取したアルコールが体内にほぼそのままの形で残っていて気怠さとまた先に寝てしまったという罪悪感を覚えながら真っ暗になった部屋の中で立ち上がり、トイレに向かった。戻りながら「すいません、すっかり寝る環境を整えてもらって」と言ったのは彼が起きていたことを悟っていたからだ。
真っ暗の部屋から「電気消しただけだよ」という彼の声が聞こえた時、暗闇の中、私は泣いた。真っ暗で何も見えないのに彼がそこにいるというだけでこんなにも安堵するものなのかと、また一つの不幸を知ってしまった。恐らく私はまた眠りについた。記憶は曖昧だ。
「ぱぴちゃん、私多分、この関係が終わったらマジでクソみたいな男に引っかかると思う」
だいぶ満腹になってきたがそれでもぱびこと食べるラム肉もワインも美味しい。
「弱ってるとね、引っかかるよね」
「その時は笑ってあげて。そしてそのクソ男と別れた後多分ちゃんとした人が見つかるから、その人と結婚するわ、私」
結婚なんてしたら恋愛の速度は一瞬で限りなくゼロに近く。それでも熱量を保っていく努力をすることが結婚するってことなんじゃないだろうか。知らんけど。
彼との関係は高い熱量を保ったまま、穏やかに減速していくだろう。速度がゼロになった時、静かに幕を引こうと思う。同じ場所で燻り続けていくにはあまりに熱すぎて焦げつく。
終わりを迎える時、私はあの夜暗闇から聞こえた彼の声の尊さとそこから感じた愛情を思い出して涙するのだろう。
きっとその時の彼の声も穏やかで優しくて私を安心させてくれるはずだ。
了